記録的な動員数となった『君の名は。』の新海誠監督による最新作。
大ヒットの後で方向性については相当悩んだのではと思いますが、結果としては若者ウケを狙いすぎたのか前作よりも単調な内容で御都合主義も目立ち、何より物語のあるべき流れから逸脱しているように感じます。正直なところ映像以外には見所を見出せません。
シェフの気まぐれお子様ランチ
全体的な印象として『君の名は。』によく似たプロットですが、設定は単純化され、おそらく意図的に若年層を狙った内容を選択したようです。しかしそれを支えるだけの骨のあるストーリーはなく、子供はこういうの好きなんでしょと言わんばかりの目線で作られたお子様ランチのように感じます。
新海作品でお馴染みの離れた時空が生むすれ違いという設定も省かれ(難解という判断でしょうか)、家出少年が都合よく綺麗なおねーさんと知り合いになり、偶然にも可愛い女の子を救う事になり、ガバガバな警備の警察から逃げるカーチェイスありで、いかにも盗んだバイクで走り出したい年頃の子の願望(偏見)がご都合で実現する世界です。
もっとも偶然と都合の良い設定だけで話が進んでいくのは前作と同様なんですが。新海監督はなろうで小説を書いたらアニメ化も狙えるんじゃないですかね。
また『君の名は。』では楽しめたコメディパートも、それに味をしめたのかプレッシャーのせいか、今作では狙いすぎていて大分すべり気味な印象です。個人的には初代プリキュアと花澤綾音は刺さったと告白してもいいですが、こんなヲタ向けの内輪ウケ狙いが一番面白いのというは致命的なのでは。前作はもう少し一般受けする要素があったと思うんですが。
成長譚というよりは子供の駄々
しかし最大の問題はやはり後半の展開にあると感じます。
前半は帆高にしろ陽菜にしろ、子供であるという理由だけで望むものを手にできない状況にあったのが、たまたま天気を操る能力を得る事でそれが一時的に解消される過程が描かれます。しかしその能力は自分の力で得たものではないので、物語の必然として結局失われてしまいます。したがってこの物語の解決としては、何らかの形で成長した彼らがたとえ僅かでも自らの力で何かを得るというものになるはずでした。
それがいつのまにか彼女を取るか世界を取るかという、いわゆるセカイ系のテーマにすり替わってしまっており、それがこの作品で感じる違和感の原因のひとつと感じます。新海監督は結局のところ男女のすれ違いにしか興味がないように見え、それが映画監督としての底の浅さにつながっているように私には思われます。
世界を犠牲にして好きな子を選択するのもいいでしょう。しかし、結局それは世界を守るという名分で誰かを犠牲をするのと同じ発想だという自覚と葛藤もあるべきでしょう。そして自分たちの望むものを手に入れる代償として主人公たちは何を支払ったのでしょうか。鳥居で祈っただけで不思議にも手に入れた力でしょうか。あるいは他の人たちと同程度の不便を被る事でその選択が正当化されるという事でしょうか。
この物語は成長譚であるべきだったと思うのですが、最初と最後で主人公たちに何か変化があるようには見受けられません。成長譚とは基本的に何かを失って何かを得る物語です。与えられるだけの存在から自らの力で獲得する存在への変化の話です。
この映画は、私には駄々をこねた子供が首尾よく望みのおもちゃを与えられたという話にしか見えません。
映像について
新海作品という事で映像にも触れておきます。
さすがに見慣れてきた感もあり、また他作品でも同レベルのものがないわけでもなく、かつて程の驚きは薄れているとはいえ、やはりその映像美は評価せざるを得ないでしょう。
今回は要するに雨を描きたかったんだと思いますが、地面に跳ねる水滴の描写も綺麗で、豪雨から雲間が広がり日が差していく変化の過程も美しいです。
ストーリーなど追わず、長めのPVと思って眺めるのが正しい見方なのかもしれません。