映画『失くした体』レヴュー – 切断された右手が象徴する喪失と成長の寓話

映画『失くした体』レヴュー – 切断された右手が象徴する喪失と成長の寓話

★★★★★★★★★★ 10/10

切断された右手が元の体を求めて彷徨い歩くという奇想溢れるフランスのアニメ映画。Netflixで配信中。

その奇妙なイメージと寸断され全体像の見えないストーリーに思わず引き込まれるという構成も見事ですが、最後にその意味が明らかになった時にはほろ苦い余韻に静かに浸る事になるという、題材からは予想もできない非常に繊細で味わい深い作品です。

原題の『J’ai perdu mon corps』は直訳すると「私は私の体を失った」であり、私とはすなわち右手という事になります。原作は『アメリ』の脚本であるギョーム・ローランの小説で、一風変わった視点から人生の味わいを描くという手腕は相変わらずお見事ですね。

この右手がハトと格闘したりネズミにかじられそうになったりしながら街を歩き回るという奇妙な冒険譚と、右手の持ち主であった青年の子供の頃からの記憶、青年の失恋の過程という3つの時間軸の異なるストーリーが交錯して進行し、最後に全てが繋がるというちょっと凝った構成になっています。

人体の一部が勝手に動き回るというだけならただのホラーですが、なぜこの右手が主人公なのかと考えるに、青年が右手に怪我をした時に恋慕する女性に治療してもらうというシーンがあります。劇中で彼の体が彼女に直接触れたのはこの時の右手だけです。つまりこの右手はこの恋の象徴であり、切断は失恋を、なおも動く手は未練を表しているのでしょう。

紆余曲折あって最後に右手は元の体に辿り着けるのですが、一度切断された手が元に戻ることはありません。

失恋だけでなく、交互に挿し挟まれる青年の過去の記憶も喪失の記憶です。失った体を求めてゾンビのように彷徨う右手と同じく、青年の心は失われた過去に囚われたままだということが次第に明らかになります。

そしてラストの演出が素晴らしいんですが、全てを失ったように感じるその時、何かを失う事で乗り越えられることもあるという仄かな暗示とともに、ビタースイートな余韻を残して物語は静かに幕を閉じます。

奇抜な題材も目を引きますが、少ない台詞で観る人の想像力を刺激しながら映像で物語を見せていく表現力はかなりのもので、冒頭のシーンからその独特の雰囲気に引き込まれます。一見奇を衒ったように見えながら、ストーリーが進むにつれその意味が明らかになり、最後には人生における喪失と成長のほろ苦さをしみじみと感じさせるという意外性にもやられました。

テーマやスタイルが個人的に好みというのもありますが、文句のつけようもない名作だと思います。オススメ。

Netflix で見る